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Report
MIMINOIMI Food for Ears- 耳の糧 - Vol.11
at Ochiai SOUP, December 6, 2025

Yengo

MIMINOIMIはアンビエントを主要テーマとしたコレクティブで、その性質上関連範囲が多岐に無限に展開していくアンビエントを、その時々の方法で領域の提示/分析/解釈する試み、と私は認識している。(aにアンビエント的要素を見出した時、それがその作家の方法論なのか、時代性によるものなのか、類例やパッケージングでその実際を認識可能にするような方法が一例に挙げられるだろうか)

 

Food for EarsはそんなMIMINOIMIのライブイベントシリーズで、国内外の特異なアーティストを招集しforestlimitや神楽音、(旧)神田polarisや今回の会場でもある落合soupでたびたび開催されてきた。

 

初来日となる海外アーティストも人前でパフォーマンスを行うのが稀な国内アーティストも引っ張り出せてしまうのがMIMINOIMIの一つの魅力だろう。彼らのブッキングに驚かされたのは一度や二度ではなく、分母が少なくマンネリがちな内容に陥りやすい実験/辺境音楽の界隈を彷徨く身としてはありがたい限りである。そういえばMIMINOIMIの名前の由来について昔聞いたことがあったが、いろいろ考えたけどこれでよくね、みたいな帰結だった気がする。コンセプトを強固に組みつつ人柄がフランクな一面は良いギャップだと思う。

 

さて今回のイベントはリトアニアのアーティスト2組の招集を軸にアメリカからMiyaxx、国内でソロの演奏は10年ぶり以上となるTakeyuki Hakozaki(Pollypraha)、新興実験音楽レーベルzappak主催のLeo Okagawaといったライブアクト。ドローン/アンビエントを主軸に国内外で活動し、同時にMIMINOIMIレジデントでもあるiwamaki(Menou)がオープン/クローズと転換でDJを披露した。

 

Leo Okagawa

1組目の演奏は実験音楽レーベルzappak主宰で自身も多数ののリリースを国内外のレーベルから行い、尚且つ継続的な演奏活動を絶やさず近年はギリシャやアメリカでも活躍しているLeo Okagawaだ。氏の演奏を目にしたのは久しぶりだが、剥き出しの基盤から発せられるような電子音は存在感を増し、粒立ちやダイナミクスが解像度高く感じられる素晴らしい音像だった。その上で今回のセットは私が今まで見たことがある中で最もバリエーションに富んだ内容となっており、中盤〜終盤際、電子音がビートじみたリズムを刻み始めた時は心が踊らされた。そこまで多くの回数耳にした訳ではないが、氏の出音で注目すべきは投射される低音域の圧の強さとその耳馴染みの良さだろう。強烈と謳うこともできるが、アナログ機材の特性を活かして制御されたそれは、決して不快な領域にはやって来ず持続可能な音楽体験として顕然する。もし貴方がストイックかつコンフォータブルな電子音に身を委ねたくなったとしたら氏のパフォーマンスを私はお勧めする。

 

Gailė Griciūtė + Alanas Gurinas

1.2.3…有線のイヤフォンと繋がったスマートフォンがAlanas Gurinasによって次々と天井から吊り下げられていく、恐らく合計4つのスマートフォンが吊り下げられただろうか。暫くするとメインスピーカーから酷く小さな音量で、シャッフル気味の頼りないビートが流れ始めた。傍で直立していたGailė Griciūtėが歩き始め、よく見るとヘッドマイクを装着している。これまた微かな声量の、ASMR的なニュアンスのポエトリーリーディングが始まる。フォーリアー♩フォーリアー♩…………….docotor……………….I…..room……………..フォーリアー♩フォーリアー♩……………….

子供が生まれた日のこと?ビートは流れ続けている、スマートフォンからは近づかないと聴こえないような、さらに微かなドローンサウンドが発せさられている。彼女はステージと観客席を練り歩く。目を閉じると声は右耳から左後頭部に移動する………….フォーリアー♩フォーリアー♩…………….

フォーリアーってなんだ?フォーリアーだけ分かんない、でもこれは彼女の息子が生まれた日の話のようだ、記憶を呼び起こす時、それは完全には復元不可能である。いくつかの想像と紐づいた、もしくは今この場の何かしらに付随して呼び起こされる。これは記憶(とそれに伴う感情)の共有行為だ。ビートは人々を同期させ、ドローンは自他境界を曖昧にさせる。そういった意味では呪術的ではあるがこれは決して呪いではない。言葉を使った音楽も国境を越える、非常に得難い経験だった。

 

Takeyuki Hakozaki(Pollypraha)

私の中でこの日リトアニアの2組と同じくらい前情報がなかったのがHakozaki氏だったのだが、国内でのソロ演奏は10年以上ぶりだという。今回のラインナップの中で最もアンビエント的な音像といっても差し支えないと思うが、際の際まで微細に追い込むイコライジングにすっかり魅了されてしまった。演奏後に話を伺ったところ「イコライジングが自分の演奏ですから」と口にされていて頷くばかりだった。主となる構成音はモジュラーシンセから出力され、ミキサーでイコライジング(soundcraftのミキサーの話をした気がする/ちなみにこの後出演のJohnもsoundcraftのミキサーを使っている/デカくて重い/けど音は素直で最高/私も持ってた)というフォーマットだったろうか。面白かったのが時折挟まれるオブジェクトによるパフォーマンスである。トーンチャイムや大きめな下敷きのような薄板をマイクに向けることで演奏のアクセントとして用いているのだが、特にこの下敷きを揺らして撓む際に生まれる音色は、ともすれば瞑想的な方向に進みがちな聴衆の意識を、音そのものの面白みに向かわせるような効果をもたらしていた。全編通して圧の強さを感じさせないが随所に適切な仕掛けが施され、音のダイナミクスを主軸にクライマックスまでの展開(中音域が全く膨れ上がらないのが驚異的だった)を作り出す様は丁寧な機織りのようで見事な演奏だった。

 

iwamaki

ここらで全編通してDJを行なっていたiwamakiについても触れておきたい。ライブパフォーマンスの際はモジュラーシンセやラップトップを用いて先述したLeo Okagawaにも通ずるストイックな電子音を操り、メディテーティブなドローンを展開するアーティストだが、この日のDJは一貫したムードを保ちながらも時折大胆なアプローチを投入する刺激的かつグラデーショナルなmixを見せてくれた。

特に眉唾だったのがFrançois J. Bonnet (kassel Jaegerの本名名義)が今年リリースしたSarah Davachiとのスプリットアルバムのトラック。ケルト方面の民間伝承に出てくる身内の死期を知らせる妖精の名を冠した20分越えの長尺コラージュ作品だが、中腹辺りから現れるその妖精の叫びのような変調された風音が転換DJのタイミングでmixされたのは驚きだった。リスニング体験としても刺激的でありつ、イベントがこの後どの方向に向かうのかをアナウンスするような(実はArturas Bumšteinasのセットに通ずる様な質感)見事な選曲。

本人に確認をしていないので、ここまで書いて間違っていたら恥ずかしくはあるのだが、今回のイベントが終始満ち足りたムードで進行していったのは各ライブアクトの内容は勿論のこと、iwamakiのDJによるところも大きいだろう。ライブアクトが中心の日にDJは裏方的なニュアンスになりがちだが、まぁ、なんて勿体無い感覚、と私は思う。素晴らしいDJからしか得られない音楽的充足感がこんなにもあるのだから。

 

Miyaxx(John Thayer + Lea Thomas)

私事だが、丁度1年前TENbient(MIMINOIMIメンバーのKentaro Nagataが主催の1人でもある)というイベントでJohnとLeaと初めて共演し、久しぶりに2人に会いに来たのも今回足を運んだ理由の1つだ。確かその頃はまだユニット名もなく2人の名前を並べただけだったが、今回はMiyaxx名義でのショートツアーで、その最終日が今回のイベントでの出演となった。

Johnは楽器はなんでも演奏できる上にエンジニアリングも務める才人で、このユニットではエレクトロニクスを担当している。Leaはほんの少しだけ入る掠れが耳に馴染む素晴らしい歌声を持ちつ、ギターの腕前も見事なアーティストで、2人の演奏は確かな技術が土台にあるため、安心して揺蕩うことが叶う稀有な時間だ。

JohnとLeaの音像はオルタネイティブ/シューゲイズ/USインディー的とあえてカテゴライズすることも出来なくはないが(本人たちはnighttime fuzz folkと記載している?)、個人的にはその領域として形作られる前のもっとシンプルなメロディが引き伸ばされ霧散し、音楽と音の間で揺れる様な印象を私は持っていて、それはとてもアンビエント的だなと思う。実際2人の演奏は実験的な出音が並ぶイベントの中でもスッと溶け込んでいくし、尚且つ先述した様に確かな技術のある”音楽”なので、理想的な形でコントラストを作り上げていく。中々文字や言葉では伝わりづらい感覚かと思うがまた来年日本に来るそうなので、その時に答え合わせをしてみてはいかがだろうか。

 

Arturas Bumšteinas

MIMINOIMIのメンバーでato.archives主宰のYama Yuki曰く、リトアニア実験音楽シーンの顔役だというArturas Bumšteinasが今回最後のライブアクトだ。DJ  YudetaroのレポートにもあるようにCDJ2台とラップトップというセッティング。この日最も不穏な音像で、アブストラクトそのものといった立ち上がり。ここまでのアクトが序盤からどういったスタイルなのか明確だったこともあり、煙にまかれている様な感覚に包まれる。そこから徐々に徐々に音像が変容していき、中低音域が主体だった出音に速度の速い電子音が組み込まれ、グリッチが時折顔を覗かせ、シーケンスの反復によってそれまで見えてこなかったリズムが提示される。イベントの方向性からこの日はフロアに丸椅子が設置され、皆着座して各々の音に耳を傾けていたが、ここまでダンサブルな内容では座ってられない。今や反復するリズムは6/8拍子気味に変化しているが常に音像はくぐもった様な質感を保っている。ダブワイズされたMark Fellのようだ、と頭の片隅で私は考える。反復の尺がまた変わった。キックの代用品、グリッチの破片がシャッフル気味の四つ打ちを提示する。恐らくMIMINOIMIで聴衆が踊りながらパフォーマンスに向き合う光景は今回が初だろう。先述したiwamakiのDJについて思い浮かんだのはこの辺りだったか、良いイベントは度々伏線が回収される様なミラクルが起きるものだ。Arturas Bumšteinasのパフォーマンスはこの日この時間にふさわしい、美しいバランスだった。

 

追記

今回MIMINOIMIのFeLidから依頼を受けてこのレポートを作成したが、今思い返しても良い内容のイベントだった。MIMINOIMIはメンバー3人ともナイスガイで、決して一般的ではないこうした音楽が流れる場に風通しの良さを感じるのは稀有なことだ。今後もいくつかのイベントを彼らは予定しているので、もし気になったら是非足を運んで欲しい。あまり肩肘張らず、リラックスした心持ちで。

DJ Yudetaro

オープンから来てくださいと言われていたので、時間を気にして会場に向かい、何とか間に合ったと思ったところ、実際は2時間遅刻していた。なぜ間に合ったと思ったのかというと、土曜日のイベントなので19時開始だと勝手に思い込んでいたのだった。実際は17時からイベントは始まっており、2組のライブがすでに終わったあとだった。悔やんだけれど、人生という砂時計はサウナに置いてあるものと違ってひっくり返すことができない。

 

落合Soupのいいところは、まず銭湯の地下にあるところだ。銭湯の建物の、秘密の階段を下っていくのである。わたしはふだんクラブよりもレコード屋よりも銭湯に多く通う。銭湯は教会のようであり、墓地のようでもある。ゆえに音を聞きに行く。銭湯は音を聖なるものにして囲う。Sax奏者のAyane Satoさんも銭湯の建物にあるスタジオで日々レコーディングしているそうである。だから研ぎ澄まされているのだ。

 

だが着いて早々、わたしは排水溝のうえの落ち葉のように詰まってしまった。Soupは満員だった。混んでいて、エントランスから奥に進めなかったのだ。そこから30分ものあいだ、身動きが取れず、ドリンクも頼めず、じっとしていたが、Takeyuki Hakozakiさんのパフォーマンスは素晴らしすぎて、時間があっという間に過ぎて苦にならなかった。機材から途切れず流れる低めのドローンサウンドに、時折Hakozakiさんが小さな楽器(おもちゃのようなものだったり、金属の板だったりした)を鳴らして、その音がマイクで拾われ反復しながら絡んでいく。まるで川のほとりにいるように感じた。大きすぎず小さすぎない川。流れは激しすぎず穏やかすぎず、ときどき鳥や動物の声、風が樹々をゆする音、魚が跳ねる音が耳に入る、そんな落ち着く川だった。終了時、黙って集中して聴いていたオーディエンスから万雷の拍手が送られる。

 

人の動きが生まれ、ようやくフロアに入って知人とあいさつしたり、ドリンクを頼んだりすることができた。iwamakiさんが転換のDJを担当している。彼女のたたずまいはライブのときとDJのときでまったく変わらない。かける音も、彼女の作品なのか、誰か別の人のトラックなのかわからない。シンプルかつディープなドローンの音響に浸される。

 

続いてのライブはMiyaxxというUS出身の2人組。ギターの弾き語り、透明感のあるボーカル、シューゲイズのような音響が、夢の世界に誘う。青春を感じさせた。……だが青春とは何だろう、青春とはいつなのだろう。ひょっとしたら、ここに集っているいい年した大人たちには、まだ一度も青春が訪れていない可能性だってある。還暦を過ぎたり、喜寿を過ぎたりしてからが青春になるかもしれない。とりわけアンビエントなんていうジャンルをやっていればそうだ。少なくとも、先日ライブを見たLaraajiは83歳で青春真っ只中だった。

 

落合Soupのいいところの2番目は、お酒が安くて美味しいところである。「価格がバグっている!」と誰かが叫んでいた。しかも良い焼酎が飲めるのだ。芋焼酎のロックは、できたての焼き芋を飲んでいるように甘く香ばしかった。

 

今日のイベントは、リトアニアのミュージシャンを迎えている。リトアニアとは珍しいけれど、でも特に驚かない。電子音楽のミュージシャンは地理的・歴史的バックグラウンドにかかわらず、どんな国にも、どんな地域にもいる。リトアニアを代表するサウンドアーティストだというArturas Bumšteinasは、CDJ×2台とラップトップという構成のスタイルだった。何かが吠えているような実験的なトラックのうえに、徐々にグリッチ感のある音が乗ってくる。カットアップされたような音の反復はだんだんと規則性を帯び、リズム感が出てきて、気付いたら四つ打ちのようになっていた。わたしは当初椅子に座っていたが、上半身が勝手に動き始め、たまらず立ち上がってしまった。周囲の、テクノ/ハウス好きと思しきオーディエンスも身体を揺らしていた。落合Soupのいいところの3番目は、キックの低音がとても心地よくミゾオチに響いてくるところだ。迫力だけでなく、なめらかさも持った振動が伝わる。アンビエントのパーティーで思いがけずテクノ体験ができたことは、焼き鳥屋で美味しい刺身が出てきたように嬉しかった。

 

最後、iwamakiさんのDJタイムを経てイベントは終了したが、始まりが早かったからまだ21時すぎだ。「あえて早く終わらせて、ここから忘年会みたいな感じで歓談タイム」とMIMINOIMI主催のYamaさんが意図を話してくれた。お客さんも演者も混ざって、色々な人と会話をして、色々な交流が生まれて、音が鳴りやんだこの余韻の時間はとてもよくて、ある意味これがもっともアンビエントらしいと言えるかもしれない。ミュージシャンたちが慌ただしく荷物をまとめている横で、のんびりチルしている人もいるのは、まるで銭湯の脱衣所である。脱衣所はアンビエントだ。

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